2025-10-26
書初めとは、「新しい年になって初めて文字を書くこと」(国語辞典ONLINEより) である。
今回、書初め本来の意味とは逸れてしまっているが、電子の海に私が自分の言葉で内面を自由に記すのは、今年初めてなので書初めというタイトルにした。
私が所属しているグループで、「まとまった文章を書く習慣をつけよう」という話が持ち上がったので、私もここに文章練習もとい、アウトプット記録を残していこうと思う。
私は文章を書き、人に見せることに対して強い苦手意識がある。
これは研究を通して様々な文章を記すようになり、先生方から「日本語がおかしい」と言われ、苦手意識がついてしまったのだと思う。確かに読み返すと主語述語がおかしく支離滅裂な文章になっている。書いている時は研究のことばかり考えてしまい、推敲している時も、内容ばかり脳のリソースを割いてしまっている。研究者は自身の発見や考えを文章化し世界中の人々に伝える職業だと思っている。その文章力がないのではお話にならない。
これを機に思い返してみると、幼少期は友達に手紙を書くのも、交換日記をするのも大好きだった。文を紡ぐのも楽しかったし、知らない言葉を知るとすぐ使っていた。それを毎日顔を合わせる友達に、わざわざ紙に記して渡していた。
これが段々メールになり、チャットとなっていき、まとまった文章を友に伝える機会が少なくなっていった。
手紙は、相手のことを、さらには自分のことを考えながら書くことができる。相手に送るまで、メールやチャットよりも一番時間がかかる。これが手書きになるとなおさら、一つの手紙を作成するまでに時間がかかる。手紙は、その作成時間そのものに価値があるのではないかと思う。
その行為や、時間をかけて作成したものが相手に伝わる喜びこそが、自身が手紙や交換日記を好んでいた要因ではないだろうか。
SNS、メールなどの意思疎通を行うツールが電子媒体になり、より短い文章で、簡単にコミュニケーションをとれるこの時代にこそ、手紙を、そしてその言葉と相手への思いやりを大切にできる人間でありたい。